来年こそ少しはましな年でありますように。

心澄ませるような詩を届けようと思い、始めたブログですが、
いつの間にか罵詈雑言の羅列となってしまいました。

しかも、世情は荒むばかりです。

丁度TVでは、「風水では…」なるものがバラエティ系の情報番組で放送中。
スピリチュアル(spritual)という言葉も一般化してきました。
あえて強引な言い方をするなら、このような詐欺まがいがメディアを通して
蔓延していくことに非常な脅威を覚えます。

その発言に何ら根拠を見出せない、
つまり何の反証性もないまま、言った者勝ちで情報が垂れ流され、
しかも、それらの情報を無批判的に多くの者が受け止めている実情。

オウム真理教へと学力的に偏差値の高い、あれほど多くの信者が集まったのは、
いわゆる知識一辺倒の学力偏重の弊害です。
自ら考えようとせず、誰か他の人間にそれらを預けてしまう。
さらに、その過程で疑義が脳裏に浮かんだとしても、
心の迷いなどとして簡単に消し去ってしまう。
本当は、そのようなときこそ静思し、自らに問いかけることが重要なはずです。

おおよそ事の本質は一面的ではなく、
善し悪しに単純化できるものでもない。
ところが、細木某を初めとした、これら強弁家たちはそう言い切ることで
その発言力を強めようとします。
何を根拠に?どんな情報があって?どのような統計データから?
そのような探りを入れた視点からみると、
いかに彼らが浅薄で、知識に乏しいかがわかってきます。

大好きなクラッシック音楽の一つに、ラベルの『ボレロ』という名曲があります。
この曲の最終章、
様々な音がリズムを刻みながら寄せ集まって大きなうねりとなり、
絶頂を迎えた次の瞬間、一気に全てが崩壊してしまう。
日本や世界の各所でボレロが鳴り響いている、そんな気がしてなりません。

但し、崩壊のあとにあるのは絶望ばかりではなく、
日本で言えば、永年の自民党独裁が崩壊し、
経済最優先としてたびたび大手企業へと優遇処置をしたり、
政官財で親戚知遇のネットを築き上げて富を独占したりしているような今の国家ではない、
弱者にも優しく、心配りの行き届いた国へと蘇生するかもしれないのです。

来年こそ少しはましな年でありますように。