ヤンキーは勲章なのか

とある教育委員会に「ヤンキー先生」が
委員として任命されたとの報道があった。

しばしばこの「ヤンキー」が冠としてマスコミで使用される。
あたかもそれが勲章であるかのように、だ。

ボクはおばあちゃん子で、
「人様に迷惑を絶対かけるな」と言われつづけた。
だから、「人の迷惑顧みず」なる行為にはむかっ腹が立つ。

而して、ヤンキーだ。
その内容は千差万別だろうに十把一絡げにヤンキーとなり、
いつのまにか、「元」がつくことでちょっとした勲章になっている。

さて、その迷惑行為として考えられるものを列記すると、
暴行、恐喝、強姦、教唆、万引き、窃盗、不法侵入、覗き、暴走行為などだ。

婉曲な言い換えがその行為の蔓延を助長するという見方は極端かもしれないが、
そうした迷惑行為の罪認識を軽量化することは否めない。

だからこそ、ある意味、行為の正当化にもつながりかねない
「元ヤンキー」という冠には苛立ちと怒りを覚えるのだ。

結論。
どうしても(!)冠をつけたいのなら、
「元ヤンキー」などという冠でなく、
犯した迷惑行為の内容を明らかにすべし。
つまり、
元暴行犯、元恐喝者、元強姦者、元万引き、元放火犯。
さらに組み合わせとして、
元窃盗&暴走族&下着泥棒など。

いずれにせよ、そうした行為は恥ずべきもののはずだ。
マスコミを筆頭に、そうした倫理感覚が著しく欠けている。
そのことが翻って、
正直であったり、まじめであったりすることを
貶し、嘲笑する一部の風潮にも繋がっている。