ポスト小泉?…いい加減にしろ

首相・小泉の後任について、マスコミが頻りに取り沙汰している。

候補者三人の素性は、次の通り。

谷垣禎一財務相  … 父/文相
安部晋三官房長官 … 父/外相 祖父/首相(岸) 祖父/衆院議員 叔父/首相(佐藤)
麻生太郎・外相   … 父/衆院議員 祖父/首相(吉田) 義父/首相(鈴木)

『児孫のために美田を買わず』ということわざがあるが、
政治屋というのはよっぽど旨みのある商売のようだ。

さて、首相後任というものの、
これは何より自民党総裁選挙である。

街頭インタビューや電話調査で一般市民の関心を引き出し、
何かと焚きつけているマスコミ。
しかし、党員以外に選挙権があるわけでなく
大多数の国民は所詮は蚊帳の外なのだ。

先に小泉が選出された際は、
さも国民の総意によるものかのような幻想を与え、
異常な支持率を引き出し、それを煽りつづけた。
その反省もなく、
『ポスト小泉』などと宣伝する。

誰も『ポストジーコ』などとは言わない。
それは次回のワールドカップにおいてジーコ路線は継承しないからだ。

『痛みを伴う構造改革』などと嘯きながら、
結果、もっとも甚大な痛みを蒙り、
それこそ生存権さえ脅かされているのは
低所得者、老齢者、ハンディキャップのある人たち、
つまり弱者ばかりではないか。

小泉政権発足の直前、自民党は瀕死の状態だった。
それがこの男の出現によって状況は一変し、
富める者、強者を厚遇し、弱者を更に追い詰めた。

警察庁統計資料よると、
1997年まで2万人から2万5000人だった自殺者が
1998年以降、3万1000人から3万5000人へと激増した。

政権の座からこれらの連中を引きずり降ろさなければならない。
それが焦眉の急だ。