いやぁ~、恥ずかしいッ!

安倍晋三首相が、松岡利勝農相が死亡したことについて記者会見し、
「大変残念。慙愧(ざんき)に耐えない。」と述べている。

農相の死に対して非常に恥ずかしいといっている訳だが、
数々の不正疑惑の真相を解明できず、
闇に葬り去ってしまった責任を恥じているのだろうか。

いや、どうやらそうではないようだ。

「慙愧」を辞書を引くと、
『仏教語。「慚」は自己に対して恥じること、
「愧」はその気持ちを外に向け示すことであり、
「慙愧」は自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと。』とある。

さらに、ネット上で調査してみると、
それを誤用している例がいくつか出てくる。
どうやら、「残念でならない」といった意味のつもりで誤って使用しているようだ。
言葉に格調を持たせようとした結果、とんだ無知をさらしてしまった。
「残念でならない」のなら、「痛恨に耐えない」が正しい。

このたびのケースでは、二重の意味で多くの失笑を買いそうだ。

いずれにせよ、一連の疑点に関して、
これで首相の説明責任がご破算になったわけではない。
頬被りは決して許されない。