気付かないうちに別れていた

六月の空


古い手帳に挟まれたメモ用紙
『海を背景に撮ったきみを
フィルムのなかへ閉じ込めたままにして
いつしかきみのことも忘れてしまうのかもしれない』

海を背景に撮った写真のことも
きみというヒトのことももう覚えていない

日付欄には飛び飛びに
立ち寄った書店と珈琲ショップ 美術館やシアターの名前があり
そのヒトのイニシャルらしい
Mというアルファベットが書き添えてある

けれども何を話題に言葉を交わし
どんなジョークに笑い転げたのか知る由もない

はっきり別れを切り出したわけでも
互いの気持ちを確かめ合ったわけでもなく
気付かないうちに別れていた

あらためて思い巡らせば
幽かに立ち上がってくるひとつの光景

海岸につづく丘で
そのヒトが押し花にと摘んだ小さな花
あれは少し前に上がった通り雨に濡れる
ムラサキツユクサだったろう
伸ばした指が病んだように白く細かった

夏を重ねるごとに
それらの記憶は手帳とともに色褪せて
多くは判読もできない

妖雲垂れこめる空を頭に被り
そのヒトがその頃住んでいた町の駅に降りてみる
けれどもそこに展開していたのは
やはり見覚えのない風景だった

湮々滅々として息苦しい空は
一体 いつ
鋭角に晴れ上がるのか